SSブログ

後藤健二さん殺害 モールス信号 ひるおび [イスラム国人質事件]

後藤健二さんが残念なことに殺害されてしまいました。
ネット上に発表されたのは2月1日早朝(日本時間)ですが
ある情報筋によると、1月30日(金)の昼ごろ(日本時間)
処刑されたといわれています。真偽は定かではありませんが
最後に提示された24時間の期限が過ぎた直後なので
そのころだとしてもおかしくはないでしょう。


なぜ後藤健二さんが殺害されてしまったか。
イスラム国の提示条件は
リシャウィ死刑囚との人質交換でした。
トルコ国境付近まで後藤さんは一度連れてこられた
という説もあります。
日本でも、ひょっとしたら解放されるんじゃないか?
という報道が一時はありました。


しかし、結局、殺害されてしまいました。
なぜでしょうか?


ヨルダンは、その人質交換に応じる前に
ヨルダン軍パイロットの生存証拠を出せと
言ったのでした。しかしなぜか提示されず、
人質交換交渉はうまくいきませんでした。


おそらく、ヨルダン人パイロットはすでに
殺されているのではないかと
私は思っています。
しかしもう殺してしまったというと、
リシャウィ死刑囚を含む何人かの仲間の
刑が執行されてしまうことを恐れているのではないでしょうか?


そもそも、リシャウィ死刑囚はヨルダンでテロを起こし
死刑判決を受けた人物です。
ヨルダン人パイロットも捕らわれているのに、
彼女と後藤さんの交換を成り立たせるわけにもいかないでしょう。





後藤健二さんが最初の動画で
モールス信号を送っていたという説があります。
「見捨てろ」「助けるな」と瞬きで伝えたというのです。
私はモールス信号の識別に自信がないのですが
この説はありうると思っています。


その時点の要求は240億円ほどのべらぼうな金額で、
イスラム国としてもそんな金がほんとうに出るとは
思っていないでしょう。
もうここまできたら、自分が犠牲になるのが
もっとも丸く収まると考えたかもしれません。
また、死亡すれば保険金も遺族に出るはずです。
そのような覚悟を彼はしたのではないかと思います。


後藤健二さんが「何が起こっても私の責任です」と語る
動画があります。
これを自己責任論者は引っ張り出すのですが、
あの動画は最初のシリア人ガイドが依頼して
万一のことになってもそのシリア人ガイドに
迷惑がかからないように撮影したものです。
そのガイドはかつて案内した人物が拘束されたことで
自分の立場が危なくなってしまったということでしたので、
その文脈から出た表現だと思います。






後藤健二さんはシリア入りを
外務省から止められていたという情報があります。
実際そうなのか、あるいは湯川さん救出その他の
ミッションを外務省やテレビ局から与えられていたはずだと
言う人もいます。そういう可能性もあるかもしれません。


しかし、いずれにせよ、ミッションだったとしても、
その仕事を断ることもできたはずです。
しかも妻は出産したばかり。
慎重な男だったという評判ですが、
なぜシリアに行ってしまったのでしょうか?


去年の10月8日に、情報番組 ひるおびに出演しています。
そのとき、シリアから帰国したばかりの後藤健二さんと
紹介されています。シリアに行ったのは10回目とも言ってました。


10月末に拘束される直前も、シリアに行っていたのです。
かなり頻繁に行き来していたことになります。


また、この日の ひるおびで、イスラム国戦闘員とコンタクトをとって
会って話したことがあると言っていました。


10月末に湯川さんを助けに行く直前も
イスラム国と関係のある人物と連絡をとっていたのでは
ないでしょうか?そしてある程度交渉が固まっていて
次は一緒に連れて帰れると信じていたのではないでしょうか。
10月末のシリア行きはかなりタイトはスケジュールに
なっていたそうで、もしかしたら、もうほとんど
湯川さん奪還を確信していたのかもしれません。
(結局騙されて捉えられてしまいましたが)


後藤健二さんは大変に評判の良い方で
なかなか悪い噂がありません。
(風俗店経営とか横領疑惑とかは
 同姓同名の他人だったそうです)


非常に残念でなりません。
ご冥福をお祈り申し上げます。













nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。